帰国子女の学習事情 イタリアの小学校

考えてもいなかったイタリアという国での現地校通学 ...貴重な2年間でした

現地小学校と日本の補習校

我が家の2度めの駐在地はローマ。
観光で訪れるのは素晴らしい街です!
でも生活となると...?
日本人の必需品が手に入りにくく、スリや強盗が多いことで有名なイタリア。
ミレニアム目前のローマで子供を連れて暮らして行けるのか不安でした。


小学校入学期は母国語にも大切な時期。
ローマには日本人小学校もあったので、当初の選択肢は日本人校4月入学のみ。
インター校さえ頭にありませんでした。

..が。
諸事情により長女の学校生活はローマの現地小学校から始まることになります。

イタリア現地小学校

日本を離れてからの友達ゼロ生活に我慢できなくなった長女。いくら大変でも学校に入れるなら行きたいと言います。
現地校はそれまで全くの意識外でした。
イタリア語で学校生活なんて!
場所を調べて行ってはみましたが門が閉まっていて中の様子はわかりません。
それでも高い柵に守られた感じや清潔な外観は印象が良く少し安心しました。

幸い学校からは受け入れ可能の回答。
5歳の10月末、2ヶ月遅れの1年生です。
この国の学校はどんなところでしょう。
ふた昔程前ですが参考まで。

小学校は5年制

各学年は2クラス。各クラスは20人弱。
卒業までクラス替えはないそうです。
制服はありませんが生徒は膝下丈のエプロンを着用することになっていました。
登下校は大人と一緒が大原則。
離れた場所から車で通う生徒も多いので開門時間は周辺が大混雑。要注意です。

20人弱クラスに先生ふたり

国語・社会と理科・美術など科目を分担して見てくれました。どちらも厳しく優しく落ち着いた雰囲気で、長女も通う気持ちが更に固まったようです。
長女の他にもペルーからひとりとフィリピンからふたりの生徒がいて、意外と国際色豊かなクラスでした。

お昼は食堂で3皿メニュー

パスタ・お肉かお魚・デザートの3皿!
栄養を考えた大人もうらやむ給食です。
娘も毎日楽しみにしていました。
さすがイタリア!

大変だったのは毎日の宿題です。
1年生の国語は特殊な読み書き中心の学習で普段使わない言葉も並びます。母娘ともわからないことだらけでとにかく時間がかかりました。辞書を片手につきっきりで2時間程かかることもしばしば。
今となっては全て楽しい思い出です。

学校には日本からもうひと家族、お子さんふたりが在学していました。
ローマに長く住むご家族で、大事なことは間に入ってくださいました。
先生や周りの方々にはただ感謝です。

日本人学校 補習授業校

気持ちが少し楽になったのは冬終盤。
そのまま現地校続行を決め、4月からは日本人学校の補習授業校で土曜日のみの国語の授業を受けることにしました。

海外の学校は国や町で大きく違います。
日本人学校の有無や規模も様々ですが、中でも土曜日だけの いわゆる補習校は 全日制とは運営も別で更に多様です。
ローマでは主人も運営に携わりました。

当時の補習校のひと学年は10人前後。
企業の駐在家庭だけでなくイタリア+日本の家庭が半数以上と多めです。
1年生の娘のクラスも10名強で、全員が2校を掛け持ちで頑張る子供達。
お互いが刺激となる良い環境でした。

先輩お母さん方からのアドバイスは。
"低学年で問題なくても3年生が境界線。
教科書の内容が深くなって子供の実力が別れてくるのでよく見てあげてね。"
どのご家庭もふたつの言語を真剣に考え親子で努力されていました。
この頃見聞きしたことは全て財産です。

ジルダ先生

日本語に絞るかふたつとも頑張るか。
先輩家庭のアドバイスもあり、現地校の3年生への進級については迷いました。

担任でイタリア語を見てくれていたジルダ先生に相談すると "彼女がやる気なら応援する。" そのことばに背中を押され 3年生への進級を決意しました。
主人にフランス行きの辞令が出たのは、頑張ろうねと前を向いたその直後です。

任期2年と会社としても異例な辞令。
出産を控え移動が難しかったため、相談の上フランスへの移動は出産後にと配慮をいただきました。それなら長女もイタリア校の2年生終了時まで通えます。
誕生直前まで、主人は平日はフランス休日はイタリアの二重生活です。
一応準備が整いました。

お父さんは?

先生にも変更を伝え落ち着いた頃、ジルダ先生が私の目の前に来て言いました。
「彼女のお父さんは何してるの?」
真剣な表情でまっすぐ私を見ています。
一瞬何を聞かれたかわかりませんでした。職業のこと?彼は仕事で...。
口を開きかけやっとわかりました。

当時私は出産前の大きなお腹。
学校は近く、主人は伊・仏半々だったので送迎は引き続き私がしていましたが、お父さん送迎率が高いイタリア事情から見ると相当異様だったのでしょう。
慌てて何とか理由を伝え早々に顔を出すことを約束しました。

そこからはお父さんも学校参加です。
翌週には先生に挨拶をし、都合をつけて学校に顔を出すようになりました。
5月 たくさんの方に助けていただき次女が誕生。学校ごとは主人に丸投げです。

学年末となり、学校で習っていたピアノの発表会や学芸会もビデオを持って主人が参加です。ビデオがまだ珍しかった当時のイタリア。主人の撮影姿が先生の目に留まり、クラスでの上映を約束。早速教室に行き皆で鑑賞会もしてました。

次女の誕生を報告したときは子供達にも会わせたいから教室に来てと言われ、生まれて間もない次女を連れて教室へお披露目に。何とも自由なイタリアです。

"お父さんは?" と聞かれたときの真剣な表情とは別人のような先生の笑顔にイタリアの人の本物の優しさを感じました。

絶対に忘れません

ラテン系の代表言語であるイタリア語。
複雑な時制に合わせる動詞の活用はイタリア人でも難しいと言われます。
在学中の送迎時、ジルダ先生はことあるごとに娘を励まし誉めてくれました。

その先生ともお別れの学校最終日。
娘が言ったそうです。
Non dimenticherò mai !
絶対に忘れません!
 「彼女が私に今日言ってくれたの
きれいなイタリア語で...」
目に涙をためて喜んでくれました。


長女は10年後、イギリスの高校に通うこととなり外国語でイタリア語を選択。
SNSでつながりを取り戻し、15年ぶりに先生とも再会を果たしました。
忘れられないローマの生活です。

T-75 動詞
参考;  子供が使える語学手帳を
            「せかいのことば」

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